平成14年8月24日(土)〜25日(日)
永平寺大遠忌参拝
 明け方からの曇り空がついに泣き出した。三々五々集まり始めた参加者も木陰から軒下に雨宿り先を移す。見る見るうちに空は暗く傘の花も開き始める。しかし、話し声は明るい。「ねむれなくて、早く起きすぎたわ・・」「朝、食べてないの」と声は弾んでいる。雨脚はおさまらないが、一人の欠席者もなく、定刻前にバスは出発した。総勢83名、それぞれ二台に分かれて乗り込んだ。

天林寺発  6時30分
 街はまだ眠っている日曜の朝。西インターから『東名高速』に乗るが、気がかりは空模様。ただ、西の空の明るさが一縷の望みをつないでくれる。やがて、方丈のご挨拶。高祖道元禅師の五十回の大遠忌に参拝できる僥倖、そして百二歳の宮崎管長さま自らが『慕古心』を掲げてお釈迦さまの尊い教えを伝えることや次世代に残すべく諸堂の修復整備や新改築の大遠忌事業について細やかにふれられた。バスは上郷サービスエリア(SA)にて休憩をとり一宮ジャンクションから北陸自動車道へと進む。乗務員の気配りが社内を和やかにする。しかし、窓には雨のしずくが打ち付ける。「久しぶりの雨が、この日とはね・・」などの愚痴も聞こえてくる。九時、神田SA(滋賀県)。青空が一部見え出した。それでも、曇りの多い裏日本はいかがだろうか、と心配の種はつきない。
「柳ヶ瀬トンネルを越えると福井県敦賀市でぇす。トンネルが続きますが、一ヶ所だけ海が見えるところがあります」などとガイドさんの名調子に気を取り直し、山また山の車窓に「日本海」を待つ。杉津(すいつ)PAあたりで敦賀半島をチラッと見て、あとは山とトンネル。それでもちょうど十時に南条SAに着く。ここから永平寺までは約四○分、大遠忌事務局制作のビデオテープを見ていよいよ心を引き締める。
昼食は永平寺門前の『かいど』にて地元産品満載の豪華版。みやげ物コーナーを横目に見て十一時半、再び、バスにて山門へ向かう。
 通用門にかかる七百五十回大遠忌の大幔幕をくぐると総受付のある吉祥閣。焼香師随行の参拝ゆえに特別に二階の玲瓏閣に案内される。雲水より焼香の手順を身振りをまじえて教わる。いわく、焼香は二度ありまして、・・・二列、四列にてお進み下さい・・・、と。やがて案内の僧が現れ「今から最も高い法堂へご案内します」

高まる緊張
 長い廊下を抜け、緩急の階段を上り荘厳な雰囲気が漂う法堂につく。途中、「天林寺様団参の皆さま!」と幾たびも呼ばれ誘導されてきたが、着席を言われた折も「焼香師・・・」の前口上が一般の参拝客との区分けをはっきりとさせる。一段高い緋の絨毯に整列し、法事の始まりを待つ。
 間口十八間(編注:天林寺本堂は十三間)の法堂は三百八十畳敷きで七堂伽藍の最も奥に位置し、説法の場、として、また朝課や儀式・法要が行われる。中央に巨大な須弥壇を据え、いつもは聖観世音菩薩が奉安されているが、大遠忌の間は道元禅師が奉られている。とは言うもののもちろん座った場所からは拝せない。高い天井からは八面鏡をつけた天蓋が備えられ、いくつもの火屋に包まれた電球も下がっているが、その高さと、柱の太さにさえぎられ堂内は薄暗い。
 儀式への期待と不安を混ぜた緊張に包まれおしゃべり声も押え気味。やがて、役僧らしき方が大遠忌の意義と焼香師への名誉を述べ、参拝のお礼で結ばれる挨拶をされた。一息ついて暗い中で時刻を確認する。時まさに十二時半、そこに打ち出しの鐘。
 そこかしこから、畳を擦る音、衣擦れの音が生じ、黒い影が動く。見る見るうちに僧の数は増え、合掌の容で向き合い整列、静かに待つ。静寂がさらに静寂を呼ぶ。しわぶきひとつない。高まる緊張感。ひときわ高い鐘の音に続き従者を引き連れた導師が入堂、午後の諷経がはじまる。80名を数えるであろう朗々とした僧の読経の中、教わったとおりの作法で焼香する。しかしうまくいかない。緊張で動きがぎこちないのだ。須弥壇の横を大きく回って席に戻る。ほっとする。 
 「法要中ですのでお静かに!」と外から雲水の声。それまで分からなかったが、廊下を拡幅した仮設の通路には一般の参拝客がたくさん訪れていたのだ。引率の雲水に導かれ座っていたのだが、言うなれば特別扱いの焼香師随行参拝ゆえの席であった。
 ふたたび鐘の音。皆の首が右にゆれる。先程の導師が消えた方向である。今度の鐘は我が天林寺方丈登場!の思いが伝わるのか、ほとんどの人が居ずまいを正す。左右に揺れる肩と首。

淡黄色の衣にて、粛々と入堂
 正面から手前に叩く所作で鐘を鳴らしながらの先触れに続き、焼香師・天林寺方丈が入堂する。薄暗い中、淡黄色の衣がくっきりと浮かび上がる。静かだが確かな歩みで参拝団の前を通り須弥壇前に進む。掌を合わせ、拝む人、凝視する人。かたずを飲む人、言葉にならず「・・おぉっ」と漏らす人。焼香師は須弥壇前で茶を献じ、香華を献じて戻り、一呼吸入れて香語を奉じる。我が参拝団も雲水に促され横四人にならび焼香の列を作る。教わった「香を奉じ、横歩き二歩で拝礼」、を頭で繰り返しながら前の人に遅れず擦り足、探り足で進む。ご本尊さまを拝謁するゆとりもなく、流れに従い大きく右回りして元の席に帰る。座って、思わず大きく息をした。その分、吐く息が間に合わず口をあける始末だった。しかし、大きな儀式に参列したという実感が体中をめぐり震えが走った。

諸堂拝観
 13時15分に法要は終わり、別室での記念撮影に移った。先ほど導師を務められた、大遠忌局長の山田老師(藤枝盤脚院)も加わっていただいた。引き続き若き雲水の案内にて、仏殿(七堂伽藍の中心にあり釈迦牟尼仏など三世如来さまを奉安)、大庫院、山門、と回り、傘松閣では230枚の天井画(昭和五年伊東深水など日本画家一四四名によって描かれた)の中から花鳥以外の絵を探したり、しばし、遊びにも興じた。次々と訪れる参詣客に混じりながら階段を上り下りし、吉祥閣の総受付に着いたのは十四時十分、誰もが適度の疲労を感じるころであった。『玲瓏閣』と書かれた額を掲げる大講堂にてしばしの休息を取る。その間、係りが納骨希望者などを呼び出し、別室へ案内していく。やがて、「おみやげ物や特別展示場は一階です」の声に従い階段を下がる。総受付の脇に売店があり、右手に折れると大遠忌の特別展示とスライドを上映する聖宝閣があった。

ゆっくりとくつろぐ
 本山でのすべての行事を終わり各自徒歩でバスの待つ集合場所へ向かう。控えの間などはクーラーが効いているものの、長い階段の上り下りは汗をかく。かえり道、両側にならぶ土産物屋さんの呼び声に足が止まり、「名物ですよ!」なんて声に店内に引き込まれてゆく。もう買うまいと決めたのに、店に入るたびに増えていくみやげ物。
バスに帰り、「また買っちゃった!」なんて言い訳をしながら席につく。そのたびに顔を見合わせ笑声が飛び交う。ガイドさんまでが「あら、また増えましたね!」
 大事な役目を終えられた方丈が乗り込む。期せずして「おつかれさまでした」バスいっぱいの明るい声。「有難うとうございました」とにっこり。員数を確認して出発。16時5分。目指すは、今宵の宿舎、山代温泉 『百万石』である。
 三国町に注ぐ九頭竜川を越えると丸岡城の案内が始まった。「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」の石碑があり、今は全国から「日本一短い手紙」を募って有名という。それも、本多作左の息子・成重(幼名・仙千代)が丸岡城主になったことから町おこしに一役買っているとの事。
それならば、浜松城公園に「作左山」を持つ浜松市民としても何か仕掛けないと・・・なんて力んでいるとバスはいつしか県境を越え、石川県に入っていた。北陸自動車道は加賀インターで降りる。山中塗、輪島塗の案内看板が目立つ。ガイドさんから「あの右手が・・・」といわれ、探しているうちに大きくカーブし、沢山のおねえさん方の出迎える大きなホテルに着いた。そこが山代温泉随一の高級ホテル・百万石であった。
 ゆっくりと風呂に入り、庭を散歩する、部屋でくつろぐ。思い思いの時間をかけ早朝からの疲れを癒す。夕食の開始は七時。ホテルで一番大きな部屋に陣取り宴席を張る。総代の高橋さん、方丈のごあいさつ。総代・織田さんの「乾杯!」の音頭で開宴。食前酒に始まり、十余品の山海の美味に箸を踊らせ、デザートの水菓子を頂いた。宴たけなわであったが仲締めは総代・桑原さんにお願いし、お開きとした。

 翌朝の朝食は7時30分。充分な腹ごしらえで八時三○分に出発。  海産物ショッピングでさらにかばんを太らせ小松インターより、白山スーパー林道へとバスをやる。  
途中、中宮ドライブインに寄り蝉時雨の中、吊橋を往復、『おはぎ』など地元産の土産に話題が沸いた。大きな仕事を終えた安心からか昨日と打って変わり車内はすっかりリラックスムード。
ふくべの大滝などいくつもの滝を車窓に眺め、トンネルを越えて三方岩駐車場にてトイレ休憩。手洗いの水の冷たさに驚かされる。
 昼食は白川郷の合掌造りの二階。ホウバ味噌に「これはご飯がいける」としか言いようがない辛さを覚える。初秋を体感しつつ、合掌造りの里を自由行動にて過ごし、。14時に白川を後にした。交通渋滞に遭いながらも西インターに18時半。ほぼ予定通りの帰着であり、お迎えのご家族もさほど待たせずに済んだ。大きな包みのお土産もさることながら、道元さまの50年に一度という大きな遠忌に、しかもわが天林寺方丈さまの、焼香師という名誉あるお役目に随行しての旅は生涯の思い出として残ることでしょう。その法堂のおなかに深く響く木魚の音とともに。