平成17年7月15日(金)
山門施食会
 梅雨は明けないが「もうすぐ夏!」が感じられる。曇り空の朝を迎えたが午後からは日差しがきつくなってきた。
昼過ぎの本堂は扇風機の風を求めたり、扇を忙しく扇ぎ、肌で「涼」を感じたりしている。

燃えている所にこそ、水! 
 1時より井上貫道老師(掛川市少林寺住職)の法話をいただく。老師の声が発せられ堂内に伝わると、水を打ったように静けさ拡がり次の言葉を待つ。
 誰もが持っている煩悩のお話、と前置きし、「一般的に多くの人は怒りを感じたときには、その原因の追求ばかりで、誰が怒っているのか、怒れるのかを追及しない」。つまり、怒りの炎を消そうとしないで、炎の原因ばかり追い求めている。「火を消そうとしないで、出火の原因ばかり追っかけているのと同じで火は消えない。まず、火を消すのが先決だ」、と説かれた。
 また、人は分別を覚えると、食べ物なら「うまい、まずい」などと差別し、捨てたりもする。もったいないことだ。初めてその食べ物に出会ったときは美味しく、味合って食べたのに・・、と「初心忘れず」は分別の前の心です、とも。
 つまり、分別が起きてくると自分の心の中にも隔たりをつけてしまい、煩悩も生じる。煩悩の前、「最初に起きる心」を大切にし、どこまで言っても自分の生き様は変えられないから、腹を立てずに一生を送るのがよい、と説き、お釈迦さまは火消しの名手、「火のついているところに水をかけること」と諭している、と結ばれた。
2時過ぎご詠歌の流れる中、打ち出される鐘に従い法要が始まる。
 ご本尊様にお密湯、お菓子、茶をささげる「献茶湯」の解説があり、身を乗り出して一挙一動を注目していた頭が上下に動く。説明に納得されたのだ。
般若心経が唱えられ再びご詠歌「寝ても覚めても・・・」が唱えられる。
 続いて寺施餓鬼に移り、新亡家をはじめ檀信徒様、三世十万法界の万霊を供養、新盆のご家族から順に精霊棚にお参りし、解散した。