平成18年4月11日(火)
開山忌
ご開山 傑堂義俊禅師 514回忌営まれる。

 昨今の肌寒い気温に励まされ、けなげに花弁を固めていた桜も、風雨に煽られ花片が舞っていく。夜来の雨はピンクの絨毯を敷き始めている。散ったさくらが落ちた位置を変えず、ぬれた地面を桜色に変えているのだ。
相変わらず雨は止む気配もなく、西の空もまだ厚い雲に覆われている。
 前庭の桜に後ろ髪を引かれつつ本堂に向かう。須弥壇にはご開山の像が鎮座されている。今年はご開山・傑堂義俊禅師の第514回目の年忌にあたられる。
 11時、鐘が打ち出され関係ご寺院さま、檀家総代さま方が座を占められる。堂内の空気はピンと張り詰められるが、肌にブルッとくる冷ややかさはない。境内すべて春、本堂にも春の息吹が満ちているのだ。
 法要は厳粛のうちに執り行なわれる。500年余にわたって伝えられている所作は無駄がなく、粛々と営まれる。静寂のうちに進んでいるが、ひとつひとつの動きにご開山への思慕と感謝の思いが込められている。その誠心は近くに控える身にも伝わってきた。
 当山のご開山、傑堂義俊(けつどうぎしゅん)大和尚さまは、応永31年(1424年)紀州の熊野で誕生された。当地へのご縁は普済寺を開かれた華蔵義曇(けぞうぎどん)大和尚さまに師事されたことに始まる。
 師より印可をいただき、文安2年(1445年)当山の基となる亀鶴山万蔵院を、現在地より少し南に開創された。各地での戦乱が続き、遠江の国でも一揆や争いが絶え間なかった不穏な時代であった。
 有為の子弟を育て、普済寺に三度も住持する一方、渥美半島などに布教の足を延ばされ、常光寺など数か寺を開かれた。その後、惜しまれつつ渥美町和地=現・田原市和地にて示寂(逝去)された、と記録されている。
 以来、天林寺の「法灯(仏の教え)」は今日まで連綿と続いており、絶えることはない。仏教ではどの寺院でも開山堂をしつらえご開山さまを敬い、感謝申し上げている。それというのも仏教でいう、「つながり」はお釈迦さまより現・住職につながり、檀信徒の皆さまに結びついていくと考えるからであります。
 
 社会の安寧とみなさまのご健康をお祈り申し上げます。
総代様方の焼香