平成18年6月24(土)
第12回 仏教に親しむ会
『比 叡 山 と 道 元 禅 師』
講師  末 廣 照 純 さん

 1200年の間、不滅の灯をともし続ける比叡山の歴史の深さ、山の広さ、教えの大きさについてのお話から口火が切られた。

 世の中に山てふ山は多かれど 
   山とはひえのみ山をぞいふ (拾玉集)
 の歌を紹介。桓武天皇のご理解を得て最澄上人が開かれた時(806年)より密教、坐禅、戒律、念仏の教えがもたらされ、浄土宗系、禅宗系、日蓮宗等の宗祖が学ばれたこと。
私どもの祖師・道元禅師も13歳で横川・般若谷に入り、翌年天台座主より得度を得ている。また、現在も黒谷には浄土宗のお寺が存在するという、いわば仏教の母山とも言える比叡山の姿を語られた。
続いて、『登叡成仏』…比叡山へ参拝する道は浄土への道…と解説、大戦後の混乱期に天台の高僧が範を示し登られた、と披露。時を経ても教えは変わらぬ、と強調された。
 また、聴くひとの要望を先取りするかのように、住職を勤める天王寺(前・感応寺)の五重塔と幸田露伴のこと、江戸の『冨くじ』…現在の宝くじ…のことなどユーモアを交えてご紹介になられた。



加えて、学園の理事長としてのお立場から昨今の憂える少年事件の感想に触れると、会場からは納得同意する大きくうなづく頭が波打った。
 本題に入り、丁寧に作成いただいたレジメに沿って伝教大師の生涯、天台の教えとその展開、道元禅師の教え、についてお話になられた。十六の谷に拡がる修行の山、命がけの回峰行、驚きの十二年籠山、など、聴講の耳目は引き寄せられるかのように演台に集中、時の経つのを忘れる思いであった。
 結びには、「道は無窮なり。悟りてもなお行道すべし」(正法眼蔵随聞記)のお言葉を引いて、道に極まりはありません。生きている間の過程(日々)を大切にしましょう、と呼びかけられ講演を終えられた。
(質問に丁寧に答えられ、会場出口にても種々のお問い合わせが続き先生にはご苦労をお掛けしましたが、後日、多くの方の満ち足りた声が寄せられた)