平成21年4月11日(土)
開山忌
ご開山 傑堂義俊禅師517回忌および18世の220回忌営まれる。 

 桜満開の知らせも北上しつつある日本列島。
遠江の里はすっかり春模様で風も無く、急ぎ足では汗ばむ陽気。それでも一歩本堂に入ると空気はひんやりとし、始まろうとする法要に緊張感を与えてくれる。ご開山、傑堂義俊禅師さまの517回目の遠忌と併せて当山18世大興承玄大和尚さま220回忌が営まれる。

 11時、鐘が打ち出され関係ご寺院さま、檀家総代さま方がそれぞれ座を占められる。歳を召され足が痛むのか、総代さま方は椅子席に替わられている。逆に法要を進める役僧には若い人が目立つ。それだけ時のたつのは早い…というものであろうか。時の流れの早やさといえば、本日は517回目のご命日である。
 ご開山、傑堂義俊(けつどうぎしゅん)大和尚さまは、応永31年(1424年)紀州の熊野で誕生された。当地へのご縁は普済寺を開かれた華蔵義曇(けぞうぎどん)大和尚さまに師事されたことに始まる。文安2年(1445年)当山の基となる亀鶴山万蔵院を、現在地より少し南方に開創された。 
 年表を繰ってみると、都では権力争いが頻繁に起こり、遠江の国でも一揆や争いが続く不穏な時代であった。余分なことだが同年ドイツではグーテンベルグが印刷機を発明、5年後には石庭で有名な京都龍安寺が創建された、と日本史年表(岩波書店刊)にある。
 その後、ご開山様は民に法を説き、弟子を育み、本寺普済寺に三度も住持する一方、渥美半島など遠方にも布教の足を延ばし、常光寺など数か寺を開かれた。やがて、田原市和地にて穴にこもり鉦を打ちつつ示寂(逝去)された、と伝わっている。 
 法要は厳粛のうちに進む。500年余にわたって営まれている所作は流れるように進むが、ひとつひとつの動きにご開山への思慕と感謝の思いが込められている…ように見えた。
 奇しくも式後導師を勤められた方丈さまは「今日は常光寺様から頂いた払子を使わせてもらったが、ご開山様により近づけたような思いがして、心置きなくお勤めできた」と話された。
 思いというのは伝播するのかな?としみじみ感じたが、500余年を積み重ね、さらに続く歴史の一場面に遭遇したようにも感じた。一時間余の法要ではあったが、実に貴重な一日でもあった。