平成22年4月11日(日)
開山忌
第518回のご開山忌法要、導師は瑞生寺(左右田住職)さま 

 日替わりのように寒暖を繰り返す本年は、ゆっくりと桜を鑑賞できる?目まぐるしく変る気温に桜も散る機会を失い、例年なら葉桜であるが満開に近い艶やかさ。ご参会の和尚さま方も足を留め、しばし見上げては控え室に入られる。「政治ばかりでなく、季節も大きな変化ですねぇ」などと話されながら総代さま方も揃われた。
 実は開山忌の配役も今年から変る。法縁に連れる和尚さま方によって営まれている開山忌であるが、本年から導師を末寺のご住職様にお願いすることにしたのである。その最初のお役を担われるのは東伊場の瑞生寺さま。左右田丈夫ご住職がご開山、傑堂義俊禅師さまの518回目の遠忌と併せて当山19世道仙單興大和尚さま232回忌を導かれる。

 11時、鐘が打ち出され関係ご寺院さま、檀家総代さま方がそれぞれ座を占められる…が今年は若干の変化がある。天林寺方丈は、須弥壇の右手、東の間に端座。内陣を挟み向き合う右手に天林寺檀家総代さま方、左手に瑞生寺檀家総代さま方が座られる。
 法要は鐘の合図に従い粛々と進む。500年余にわたって営まれている所作は流れるようだ。気のせいか、例年にない緊張感が周囲を包んでいるように思われる。しかし、それは新しい導師ゆえのものでなく、会する人すべてがご開山傑堂禅師あっての一人一人ゆえ、動きの一つ一つがご開山への思慕と感謝の思いから生じる緊張であろう事は充分納得できた。 
 ご開山、けつどうぎしゅん(けつどうぎしゅんろ)大和尚さまは、応永31年(1424年)紀州の熊野で誕生された。当地へのご縁は普済寺を開かれたけぞうぎどん(けぞうぎどんで)大和尚さまに師事されたことに始まる。文安2年(1445年)当山の基となる亀鶴山万蔵院を、現在地より少し南方に開創された。 
 年表を繰ってみると、都では権力争いが頻繁に起こり、遠江の国でも一揆や争いが続く不穏な時代であった。周知の事実だが、同年ドイツではグーテンベルグが印刷機を発明、5年後には石庭で有名な京都龍安寺が創建された、と日本史年表(岩波書店刊)にある。
 
 その後、ご開山様は民に法を説き、弟子を育み、本寺普済寺に三度も住持する一方、渥美半島など遠方にも布教の足を延ばし、常光寺など数か寺を開かれた。やがて、田原市和地にて穴にこもり鉦を打ちつつ示寂(逝去)された、と伝わっている。