平成23年4月11日(月)
開山忌
寺脇町法壽院さまが導師を勤め、ご開山忌法要営まれる 

 未曾有の被害をもたらした東日本大震災から1ヵ月、原発事故と言う前代未聞のアクシデントを伴い国内は混迷が続いている。
 被害の全容把握もさることながら、放射能対策の情報開示を巡り国内はもとより、世界の疑問を誘発、警戒心、不安をあおり、風評被害が生じる始末である。日本列島は不安と不満と、ストレスに覆われ始め、やっと春が巡りきたというのに人々の言動は暗く、勢いに欠ける。
 
 開山忌の配役が変り、昨年から法縁に連なるご住職様にお願いすることにした。本年のご導師のお役を担われるのは寺脇の法寿院、福山泰顕老師。傑堂義俊禅師さまの519回目の遠忌と併せて当山20世受興養仙大和尚さま224回忌の法要を導かれる。 
 11時、鐘が打ち出され関係ご寺院さま、総代さま方がそれぞれ座を占められる。天林寺方丈は須弥壇の右手、東の間に端座。内陣を挟み向き合う右手に天林寺檀家総代さま方、左手に法寿院檀家総代さまお三方が座られる。
 法要は鐘の合図に従い粛々と進む。献湯菓茶にはじまる所作は流れるように進むが、実は本日のように法縁につながる皆さまの伝承によって500年余を渡って営まれている。一つ一つの動きに真を込め、勤める。緊張感が周囲を覆う。会する人すべてがご開山傑堂禅師につながる者であり、ご開山への思慕と感謝の思いから生じる緊張であろう。傍観する身でありながら、その真摯な姿に魅せられ自分にも緊張が走る…。が、緊張に打たれて疲れると言うものの心落ち着き、満たされた思いに浸れるのは、なぜなのだろうか?

 さらに本年は東日本大震災の慰霊法要も併せて営まれた。遠い東北の地に哀悼の意と一日も早い復興の槌音が響くように…と祈念した。
 ご開山、けつどうぎしゅん(けつどうぎしゅん大)大和尚さまは、応永31年(1424年)紀州の熊野で誕生された。当地へのご縁は普済寺を開かれたけぞうぎどん(けぞうぎどんで)大和尚さまに師事されたことに始まる。文安2年(1445年)当山の基となる亀鶴山万蔵院を、現在地より少し南方に開創された。 
 年表を繰ってみると、都では権力争いが頻繁に起こり、遠江の国でも一揆や争いが続く不穏な時代であった。
 その後、ご開山様は民に法を説き、弟子を育み、本寺普済寺に3度も住持する一方、渥美半島など遠方にも布教の足を延ばし、常光寺など数か寺を開かれた。やがて、田原市和地にて穴にこもり鉦を打ちつつ示寂(逝去)された、と伝わっている。
 519年前のことである。