平成24年4月11日(水)
開山忌
幸町の大聖寺さまがご導師、ご開山忌法要をいとなむ 

 時折激しく降る雨に打たれながらも桜花は枝ごと揺れている。季節はずれの寒風、烈風に見舞われ開花をずらされたにも 拘らず、今年も満開の見事さを目の当たりにできた。
 惜しむらくは舞い落ちた花びら…、あたり一面を「桃色じゅうたん」にしている。
散っても桜はサクラ、さすが国花としての矜持を保っているかのようだ…。
 
 開山忌の配役が変って3年目、本年のご導師は板屋町から幸4丁目に移った真道山大聖寺、伊藤勝夫老師。ご開山傑 堂義俊禅師さまの520回目の遠忌と併せて当山21世大法祖聯大和尚さま224回忌の法要を導かれる。

 11時の打ち出しを前に各ご寺院さま、総代さま方がそれぞれ座を占められる。天林寺方丈は須弥壇の右手、東の間に端 座。同じく内陣の右手に天林寺檀家総代、並んで大聖寺檀家総代さま4人、の6名が座られる。
 導師が入堂、香を炊き五体投地のご挨拶をし、ご開山にささげる献湯菓茶にまで所作は流れるように進む。当寺を開き多 くの法弟を育てられた、ご開山傑堂義俊禅師への感謝を込め、法縁につながる者によるご命日の法要を開山忌と呼ぶ。毎 年4月11日に営まれるが、当寺につながる寺院さまに導師をお勤めいただき、さらに総代さま方のご臨席を仰ぎ、法縁の永 遠に続く様子が催されていく。ご開山を通じ、道元さまお釈迦さまに続く、正に「仏縁」である。
 今、目前の一挙手一投足が500年余を経て営まれている…と思えば、一つ一つの動きにも目が離せない。静寂な空気が さらに緊張感を呼ぶ。その緊張は会する人すべてがご開山につながる者であり、ご開山への思慕と自分の存在への感謝 から生じる緊張であろう。進行を追いレンズを覗く立場ではあるが、その無駄のない真摯な姿に魅せられ自分にも緊張が走 る…。体に力が入り、気疲れると言うもののなぜか心は落ち着き、満たされた思いに浸れるのは、なぜなのだろうか?

 回向文が唱えられ、集う一同が三拝、導師は軽く一礼され、退堂された。
 ご開山、傑堂義俊大和尚さまは、応永31年(1424年)紀州の熊野で誕生された。当地へのご縁は普済寺を開かれた華 蔵義曇大和尚さまに師事されたことに始まる。
 文安2年(1445年)当山の基となる亀鶴山万蔵院を、現在地より少し南方に開創された。年表を繰ってみると、都では権力 争いが頻繁に起こり、遠江の国でも一揆や争いが続く不穏な時代であった。 その後、ご開山様は民に法を説き、弟子を育み、本寺普済寺に3度も住持する一方、渥美半島など遠方にも布教の足を 延ばし、常光寺など数か寺を開かれた。やがて、田原市和地にて穴にこもり鉦を打ちつつ示寂(逝去)された、と伝わってい る。
 520年前のことである。