平成26年4月11日(金)
開山忌
菊川市冨田の善福寺さまがご導師、ご開山522回忌法要を営む

 花冷えといえば聞こえはよいが、4月というのに寒暖が繰り返されている。うららかな春をイメージし、待ち望む人びとには正に「おあずけ」状態で、ただただ同情申し上げるほか無い。
 開山忌の配役が輪番となって5年目。この日のご導師は菊川市の玉鳳山善福寺のご住職、森田秀彦老師。ご開山傑堂義俊禅師さまの522回目の遠忌と併せて当山23世逸山俊英大和尚さま176回忌の法要を導かれた。

 11時、殿鐘の打ち出し前には各ご寺院さま、総代さま方…天林寺、善福寺双方の総代さま方…がそれぞれ座を占められる。鐘と鉦の音が呼応、大きくなって、送迎、方丈、導師、侍者らの順で入堂、天林寺方丈は須弥壇の右手、東の間に端座される。導師の森田老師は内陣に進まれ線香を持って一礼、香を焼き一礼と須弥壇に向かってご挨拶をし、ご開山にささげる献湯菓茶までを粛々と進められる。   
 開山忌とは、字のごとく当寺を開き興されたご開山傑堂義俊禅師さま、併せて代々のご住職さまへのご命日の法要である。傑堂禅師さまが入寂されたと伝わる毎年4月11日に営まれる。数年前より当寺につながる寺院さまに導師をお勤めいただき、永遠に引き継がれる法縁への感謝と自覚をし、その恩に報い更なる精進を誓うのである。まさに、ご開山、歴代住職を偲び、介して道元禅師さまお釈迦さまにつながる、「仏縁」の法要とも言える。
 
 522回忌、176回忌ということは易しいが、重ね続けることは容易ではない。教え、伝えられた所作の一つ一つに則り経を唱え、礼を重ねて今日に至っているが、会する人も同様に、一人びとりがご開山につながる者であり、ご開山への感謝と精進を誓う心が繋げてきている。飾り気も無く、無駄のない動きで真摯に勤める姿は流れるように滑らかに見える。永年に続いてきた伝承美ともいえよう。陪席する者も緊張に包まれ気疲れもするが、なぜかその後は満たされた思いに浸れる…。今年も檀信徒の方であろうか、希望されて臨席されたご婦人が居られたが、退出された折の一礼は深々として丁重、満足気のように伺えた。
 法要は導師はじめ各和尚さま方の焼香、読経、檀家総代さま焼香、と進み回向文が唱えられ集う一同が三拝、と進み、滞ることなく終了した。
 
 ご開山、けつどうぎしゅん(けつどうぎしゅん終)大和尚さまは、応永31年(1424年)紀州の熊野で誕生された。当地へのご縁は普済寺を開かれたけぞうぎどん(けぞうぎどんで)大和尚さまに師事されたことに始まる。
 文安2年(1445年)当山の基となる亀鶴山万蔵院を、現在地より少し南方に開創された。年表を繰ってみると、都では権力争いが頻繁に起こり、遠州の地でも一揆や争いが続く不穏な時代であった。
 その後、ご開山様は民にやさしく法を説く傍ら弟子を育み、本寺普済寺に3度も住持する一方、渥美半島先端にも布教の足を延ばし、望まれて常光寺など数か寺を開かれた。
 やがて、田原市和地にて穴にこもり鉦を打ちつつ示寂(逝去)された、と伝わっている。
 520余年前のことである。