平成27年4月11日(土)
開山忌
浜松市野口町の仙林寺さまがご導師、ご開山523回忌法要を営む
          
 盛りを過ぎ晩生の櫻が寒さの中でがんばっている…4月に入ってからも降雨と寒暖が繰り返され「お花見」の機を逃がした人は多い。気の早い浜松っ子の体にはもうラッパのリズムが流れているだろう。
 ご開山傑堂義俊禅師さまの523回目の遠忌のご導師を勤められるのは松寿山仙林寺の杉山晴康老師、併せて当山24世玄中透関大和尚さまの135回忌法要も導かれた。

 11時、でん(でんた)しょう(しょう))の打ち出し前には各ご寺院さま、総代さま方…天林寺、仙林寺双方の総代さま方…がそれぞれ座を占められる。鐘と鉦の音が呼応、次第に大きくなって、送迎、方丈、導師、侍者らの順で入堂。天林寺方丈は須弥壇の右手、東の間に端座される。導師の晴康老師は内陣に進まれ線香を持って一礼、香を焼き一礼と須弥壇に向かってご挨拶をし、ご開山にささげる献湯菓茶までを粛々と進められる。   
 開山忌とは、字のごとく当寺を開き興された傑堂義俊禅師さま、併せて代々のご住職さまへのご命日の法要である。傑堂禅師さまが入寂されたと伝わる4月11日に営まれる。   
 数年前より当寺につながる寺院さまに導師をお勤めいただき、永遠に引き継がれる法縁への感謝と自覚をし、その恩に報い更なる精進を誓うのである。まさに、ご開山、歴代住職を偲び、介して道元禅師さまお釈迦さまにつながる、「仏縁」の法要とも言える。
 
 今年も数えて523回という気の遠くなるような時空を越えて、綿々と続けられている。仏教の教えのつながりは法統と呼ばれるが、ご開祖道元禅師さま以来の教えは曹洞宗の根源であり、歴代和尚さま方を通じ私共にも伝えられてきている。重ね続けることの難しさは容易ではないが、経本、法話などによって教え伝えられることも多い。そして、幾百年と続けられる所作の一つ一つに誠を誓い、礼を重ねる行事は勤める僧も会する人もご開山につながる者であり、感謝と自らへの精進を誓う心が繋がりそれぞれ「自分」が確認できる。ここ数年陪席希望の檀家さんも見られるがお時間が合えば是非お出かけされたい法事である。
 法要は導師はじめ各和尚さま方の焼香、読経、檀家総代さま焼香、と進み回向文が唱えられ集う一同が三拝、と進み、滞ることなく終了した。
 ちなみに、ご開山けつどうぎしゅん(けつどうぎしゅん終)大和尚さまは、応永31年(1424年)紀州の熊野で誕生された。当地へのご縁は普済寺を開かれたけぞうぎどん(けぞうぎどんで)大和尚さまに師事されたことに始まる。
 文安2年(1445年)当山の基となる亀鶴山万蔵院を、現在地より少し南方に開創された。年表を繰ってみると、都では権力争いが頻繁に起こり、遠州の地でも一揆や争いが続く不穏な時代であった。
 その後、ご開山様は民にやさしく法を説く傍ら弟子を育み、本寺普済寺に3度も住持する一方、渥美半島先端にも布教の足を延ばし、望まれて常光寺など数か寺を開かれた。
 やがて、田原市和地にて穴にこもり鉦を打ちつつ示寂(逝去)された、と伝わっている。
 520余年前のことである。