平成29年4月11日(火)
開山忌
浜松市東伊場の光雲寺さまがご導師、ご開山525回忌法要を営む

 今を盛りに桜花爛漫…各地の櫻便りと同じにして身近で確認できる開花。例年より遅れて天林山にも春が訪れた。しかし、花に嵐の喩えのごとく昨夜来の雨に朝からは風も加わって「春嵐」の様相を呈している。強風にあおられ桜花は飛散、地面を染め始めつつある。待ちに待った花見はどうなるだろうか?幸い、明日からは天候も落ち着くとの予報が唯一の頼りではあるが…。
 ご開山傑堂義俊禅師さまの525回目の遠忌が営まれるこの日、ご導師を勤められるのは鶴枩山(かくしょうざん)光雲寺の服部義正老師。併せて当山26世天庵耑中(てんあんたんちゅう)大和尚さまの128回忌法要も導かれる。

粛々と真心こめて営む
 11時前、各ご寺院さま方と、天林寺および光雲寺総代さま方がそれぞれの座に着かれた。時をおかず殿鐘(でんしょう)が響きわたる。鐘と鉦の音が呼応、鉦が次第に大きくなり、送迎、方丈、導師、侍者らの順で入堂。天林寺方丈は須弥壇の右手、東の間に端座される。導師は直進する。
 導師の服部老師は須弥壇に向かい線香を手に一礼、香を焼き一礼、とご開山はじめ当山歴世様各位にご挨拶をされ、献湯菓茶までを粛々と進められる。

 開山忌とは、当寺を開き興された傑堂義俊禅師さまの功績をたたえ、恩に報いることを誓う、併せて代々のご住職さまへの謝恩の法要である。当寺では従前より、傑堂禅師さまが入寂されたと伝わる4月11日に営まれ、今回で525回目を迎える。   
 数年前より当寺につながる寺院さまに順次導師をお勤めいただき、その総代さまにもご臨席願っている。脈々と引き継がれる法縁への感謝と自覚の下、更なる精進を誓う法要として、さらにはご開山、歴代住職を敬い偲びつ天林寺の護持・発展を誓い合うことにより、遠く道元禅師さまお釈迦さまにつながる「仏縁」の証を示す機会、と考えるからであろう。

「自分」探しにお出かけください
 仏教の教えのつながりは法統と呼ばれるが、ご開祖道元禅師さまからの教えは当山ご開山さまから、歴代和尚さま方を通じ私どもにも伝えられてきている。基本となるのは、経本、法話などによることが多いが、法要など儀式を営む行為も大切な伝承方法である。
 幾百年と続く所作の一つ一つには託される意義があり、時を越えて真が伝わっていく。継承される行事は、勤める僧も会する人もご開山につながる者であり、感謝と自らへの精進を誓う心が繋がり、互いに新たな「自分」の存在が確認できよう。参詣時に陪席される檀家さんも居られるが、毎年決っている日時であり(4月11日11時打ち出し)、お時間があれば是非ご出席されたい、約1時間の法要である。

渥美半島(田原市)にて示寂される
 ご開山傑堂義俊(けつどうぎしゅん)大和尚さまは、応永31年(1424年)紀州の熊野で誕生された。当地へのご縁は普済寺を開かれた華蔵義曇(けぞうぎどん)大和尚さまに師事されたことに始まる。
 文安2年(1445年)当山の基となる亀鶴山万蔵院を、現在地より少し南方に開創された。年表によれば、応仁・文明の乱の直前。都では権力争いの火種が起こりつつあり、遠江でも影響波を受け、不穏な時代であった。
 その後、ご開山さまは民にやさしく法を説く傍ら弟子を育み、本寺普済寺に3度も住持された。また、渥美半島にも布教の足を延ばし、望まれて常光寺など数か寺を開かれた。
 やがて、隠遁し法尺寺開山となり田原市和地寺沢の地にて、穴にこもり鉦を打ちつつ示寂(逝去)された、と伝わっている。