平成30年4月11日(水)
開山忌
浜松市東伊場の大厳寺さまがご導師、ご開山526回忌法要を営む

 季節が移ってしまったかのように思えたのは本堂前の櫻を眺めての感想。例年なら葉桜の中にも若干の花弁が残っているものを…。
 不安定な春先…の語が色あせるほど極端な寒暖の差と繰り返しが、木々の芽吹きを惑わせ、人々の暮らしのテンポを狂わせている。

 ご開山傑堂義俊禅師さまの526回目の遠忌が営まれるこの日、ご導師を勤められるのは白王山大厳寺の木全哲之老師。併せて当山27世覺法道戒(かくほうどうかい)大和尚さまの95回忌法要も導かれる。
 
粛々と営まれ、引き継がれていく
 本堂には一番乗りとして、天林寺総代および大厳寺寺族さま方がそれぞれの座に着かれている。暫くして身を整えられた和尚さま方が静かに入堂され、本尊様の前に並列されると、時をおかず殿(でん)鐘(しょう)が響きわたる。
 鐘と鉦が呼応、鉦が次第に大きくなり、送迎、天林寺方丈、導師、侍者らの順で入堂。方丈は須弥壇の右手、東の間に端座される。導師は直進される。
 導師をお勤めの木全老師は須弥壇に対面し線香を手に一礼、香を焼き一礼、と天林寺ご開山はじめ歴世様各位にご挨拶をされ、献湯菓茶までを粛々と進められた。

 開山忌とは、当寺を開き興された傑堂義俊禅師さまの功績をたたえ、恩に報いることを誓い、併せて代々のご住職さまへの謝恩の法要である。当寺では従前より、傑堂禅師さまが入寂されたと伝わる4月11日に営まれ、今回で526回目を迎える。   
 数年前より当寺につながる寺院さまに順次導師をお勤めいただき、そのご縁のある方にもご臨席願っている。脈々と引き継がれる法縁への感謝と自覚の下、更なる精進を誓う法要として重要視している。そして、ご開山、歴代住職を敬い偲びつつ天林寺の護持・発展を誓い合い、遠く道元禅師さま、更にはお釈迦さまにつながる「仏縁」の証を示す機会と考えるからである。

「自分」を確認する、良い機会
 仏教の教えのつながりは「法統」と呼ばれるが、ご開祖道元禅師さまからの教えは当山ご開山さま、歴代和尚さま方を通じ私どもにも伝えられている。その基本となるのは、経本、法話などによることが多いが、法要など儀式を営む行為も大切な伝承方法である。
 今日に続く所作の一つ一つには、託される意義があり、時を越えても真が伝わっていく。継承されていく行事は、勤める僧も会する人もご開山につながる者であり、共に感謝と自らへの精進を誓う心が繋がり、双方新たな「自分」への存在が確認できましょう。
 偶然、遭遇し陪席される檀家さんも居られるが、お時間が許せば是非ご参加をお勧めしたい。毎年決っている日時(4月11日11時打ち出し)であり、約1時間の法要である。

渥美半島(田原市)にて示寂される
 ご開山傑堂義俊(けつどうぎしゅん)大和尚さまは、応永31年(1424年)紀州の熊野で誕生された。当地へのご縁は普済寺を開かれた華蔵義曇(けぞうぎどん)大和尚(1375~1455年)さまに師事されたことに始まる。
 文安2年(1445年)当山の基となる亀鶴山万蔵院を、現在地より少し南方に開創された。年表によれば、応仁・文明の乱の直前。都では権力争いの火種が起こりつつあり、遠江でも影響波を受け、不穏な時代であった。
 その後、ご開山さまは民にやさしく法を説く傍ら弟子を育み、本寺普済寺に3度も住持された。また、渥美半島にも布教の足を延ばし、望まれて常光寺など数か寺を開かれた。
 やがて、隠遁し法尺寺開山となり田原市和地寺沢の地にて、穴にこもり鉦を打ちつつ示寂(逝去)された、と伝わっている。