平成31年4月11日(木)
開山忌
浜松市肴町の大安寺さまがご導師、ご開山527回忌法要を営む

 当地は、例年より桜の開花が遅れているが、本堂前の桜は今を盛りと咲き乱れている。…が風に煽られ早くも地面を染め始めている。どうも今年は花見の時期が短かくサクラも不完全燃焼?のようだ。すべて不安定な気候のせいである。昨日などは、冷たい雨と気温に加え「夜半に嵐…」にたたられ、今日まで持つか、と案じられたがご開山様のお導きか、花を添えてもらっている。
 ご開山傑堂義俊禅師さまの527回目の遠忌が営まれるこの日、ご導師を勤められるのは亀鶴山大安寺の酒井章英老師。併せて当山28世・正雲得中(しょううんとくちゅう)大和尚さまの113回忌法要も導かれる。
 
真心込めてお勤めする
 すでに天林寺および大安寺総代さま方が内陣を間にして対座されている。ひんやりした堂内、急遽暖房が用意される。定刻に近づき、関係寺院の和尚さま方が静かに入堂され、本尊様の前に並列される。時をおかず、殿鐘(でんしょう)が鳴らされる。
 鐘と鉦が呼応し、鉦の音が大きくなり、送迎、天林寺方丈、導師、侍者らの順で入堂される。方丈は須弥壇に向かい右手、東の間に端座される。導師は直進し焼香される。
 導師酒井老師は須弥壇のご開山像を仰ぎ、線香を手に一礼、香を焼き一礼。代々ご住職さまにもご挨拶をされた後、献湯菓茶までを粛々と進められた。   
 
 開山忌とは、当寺を開き興された傑堂義俊禅師さまの功績をたたえ、恩に報いることを誓い、併せて代々のご住職さまへの謝恩の法要である。当寺では従前より、傑堂禅師さまが入寂されたと伝わる4月11日に営まれ、今回で527回目を迎える。   
 特に、九年前より当寺につながる寺院さまに順次導師をお勤めいただき、そのご縁のある方々…総代さま方、寺族の皆さまにもご臨席願っている。ご開山から今日に引き継がれる法縁への感謝と自覚の下、更なる精進を誓う法要として重要視している。
 それは、ご開山、歴代住職を敬い偲びつつ天林寺の護持・発展を誓い合い、遠く道元禅師さま、更にはお釈迦さまにつながる「仏縁」の証を示す機会と考えるからでもある。

先人あっての「自分」を確認する
 仏教の教えのつながりは「法統」と呼ばれるが、ご開祖道元禅師さまからの教えは当山ご開山さま、歴代和尚さま方を通じ私どもにも伝えられている。その基本となるのは、経本、法話などによることが多いが、法要など儀式を営む行為も大切な伝承方法である。
 今日に続く所作の一つ一つには、託される意義があり、時を越えても真が伝わっていく。継承されていく行事は、勤める僧も会する人もご開山につながる者であり、共に感謝と自らへの精進を誓う心が繋がり、双方新たな「自分」への存在が確認できましょう。
 今年も陪席される檀家さんも居られたが、お時間が許せば是非ご参加をお勧めしたい。毎年決っている日時(4月11日11時打ち出し)であり、約1時間の法要である。

渥美半島(田原市)にて示寂される
 ご開山傑堂義俊(けつどうぎしゅん)大和尚さまは、応永31年(1424年)紀州の熊野で誕生された。当地へのご縁は普済寺を開かれた華蔵義曇(けぞうぎどん)大和尚(1375~1455年)さまに師事されたことに始まる。
 文安2年(1445年)当山の基となる亀鶴山万蔵院を、現在地より少し南方に開創された。年表によれば、応仁・文明の乱の直前である。
 その後、本寺普済寺に3度も住持され、請われて渥美半島にも布教の足を延ばし、田原市の霊松山常光寺など数か寺を開かれた。
 やがて、隠遁し法尺寺開山となり1489年同市和地の地にて、穴にこもり鉦を打ちつつ示寂(逝去)された、とのことである。