令和2年4月11日(土)
開山忌
ご開山528回忌法要を営む

 昨年末より世界規模で問題視されている、新型コロナウイルス感染拡大騒ぎの余波から、例年とは相違して開山忌は山内のみで執り行うこととなった。併せて、29世即庵悟中大和尚の75回忌も厳粛に挙行された。
 
 一般の推測と違って東京などより開花が遅れているが、本堂前の桜は満開に近く、今を盛りと咲き乱れている。桜と言えば、寺をよく知る人の「築山の西側の桜」が好き…花吹雪となって道路に舞い散る姿が奇麗…との進言で稲荷堂の脇から回ってみたが、まだ五分咲きとも言い難い状況。いづれにしても今年はコレラ騒ぎで花見も自粛、中止が多く、サクラの話題も少なく所在ない?のようだ。不安定な気候の影響もあろうが春の代名詞の影が薄いのは寂しい。
 ご開山傑堂義俊禅師さまの528回目の遠忌が営まれるこの日、ご導師を勤められるのは天林寺32世伊藤文元方丈。10年ぶりであろうか、久しぶりに…の感がする。

礼に始まり誠意を込めてお勤めする
 従来であれば、檀家総代さまや関係寺院さま方が本堂に集結されておられるが、本朝はどなたも居られない。ひと気のないせいか堂内はひんやりし鐘の音もよく通る気がする。特別ゆえに朝9時に合図の鐘が鳴る。
 絹づれと足袋の音が止み、ひとこと「お願いします」と唱和し廊下で山内の僧のみが方丈に挨拶、いつものように本堂に向かう。

 少しの揺るぎもなく方丈の焼香から始まり、ご開山さまへの感謝とご加護、各々の今後の精進を誓い合った。綿々と続くご開山への報恩の心情はたゆまない精進の一つ一つに重ねられていく。たとえ、パンデミック(疫病の世界的流行)の最中でも。
 開山忌の法要は無事終わり送迎の僧らを従え導師が退場。やがて本堂は元の静寂さに戻り、香の香りも薄まっていく…いつもの開山忌と変わらぬ赤心の姿勢の法要だった。
 
渥美半島(田原市)にて示寂される
 すでにご承知かもしれないが、ご開山傑堂(けつどう)義(ぎ)俊(しゅん)大和尚さまは、応永31年(1424年)紀州の熊野で誕生された、と伝わる。当地へのご縁は普済寺を開かれた華蔵(けぞう)義(ぎ)曇(どん)大和尚(1375~1455年)さまに師事されたことに始まる。
 文安政2年(1445年)当山の基となる亀鶴山万蔵院を、現在地より少し南方に開創された。年表によれば、応仁・文明の乱の直前である。
 その後、本寺・普済寺に3度も住持され、請われて渥美半島にも布教の足を延ばし、田原市の霊松山常光寺など数か寺を開かれた。
 やがて隠遁し、法尺寺(田原市和地町)開山となり1489年和地の地にて、穴にこもり鉦を打ちつつ示寂(逝去)された、とのことである。
 
道元禅師からご開山、方丈から皆様へ

 仏教の教えのつながりは「法統」と呼ばれる。ご開祖道元禅師さまからの教えは当山ご開山さま、歴代和尚さま方を通じ私どもにも伝えられている。伝えの基本は、経本、法話などによることが多いが、法要など儀式を営むことも大切な伝承方法である。
 本年はコロナ感染騒ぎにより当山のみの僧侶によるお勤めとなったが、今日に続くまで所作の一つ一つには、託される意義があり、時を越えても真が伝わっていく。継承されていく行事は、ご開山につながる者が営み、共に感謝と自らへの精進を誓う心で繋がっている。いうまでもなく、参詣・参列する者も「自分」の確かな存在とつながりが確認できましょう。