令和3年3月17日(水)
コロナ渦中、つぼみはまだ固い
 昨年に引き続いてのコロナ禍の中での彼岸会(ひがんえ)となった。
 ワクチンの接種が待たれる中、コロナウイルスとの格闘は続く。不要な外出自粛、帰宅時の手洗い、マスク装着の励行など、不便さに慣れつつも一方では変異コロナ発生などの報道に新たな不安を抱かざるを得ない。不安対策は経済活動にも波及し、リモートワークなどと勤務形態も変わってきている。街中の人出も自粛され、泣く自営業も多いと聞く。さらに、冠婚葬祭にも大きな変化がみられ、各家庭がケースバイケースで営み、身内は言わずもがな知人とのお別れも戸惑うことが多い。とは言いつつアフターコロナなる新語?も生まれ、決め手が見つからない中でも、目に見えぬ敵への対応策が日常化し、いわゆる「新しい世の中」の扉が開かれようとしているようだ。
 
 当山が仰ぐ永平寺に於かれても相変わらず催事、会議等が中止や延期されている。三密を避ける意図ではあるが、檀信徒のご先祖を想う気持ちを第一に、亡き人を慕う心に添うべく今年も当山のみの陣容にて彼岸法要をお勤めさせて貰う。

ただひたすらに、無心に祈る
 例年に比べても暖かい彼岸の入りだが本堂内のストーブは見た目にもありがたい。近くに座れば暖かさが伝わるように思うのか?自然に人の輪ができる。年を追っての温暖化傾向とはいえ、春先に生じる著しい寒暖の差は中高年にとって微妙に体に響く。
 定刻1時半、本堂の鐘が鳴らされる。時をおかず遠方から引磐(いんきん)が呼応、繰り返しつつ間隔が縮まり、やがて送迎の僧を先頭に導師が入堂される。続くは侍者、侍香の僧たち。導師は鮮やかな緋の衣。速やかに須弥壇に向かい焼香される。次に五体投地の三礼、導師にならって和尚さま方、そして参会者らはその場で三拝する。静かな堂内には衣の絹づれ、足袋のすり音のみが響く…。
 次に釈迦牟尼仏、高祖、太祖、ご開山さま方に献湯菓茶を呈し、読経に移り般若心経を唱和する。
 
「彼岸法要に移ります…」と黙示される
 導師以下、参会者一同が三拝、経題が告げられ修証義が唱えられる。朗々と堂内を満たす経を耳に聴きながら、手を合わせ唱和する人、方丈や和尚さまの動きを追う人、目を閉じ聴き入る人、文言に時々うなずく人、中にはうなだれて?聴く人もいる。人さまざまの参列風景である。
 
 読経が本堂の隅々まで満ちる頃、回し香炉が檀信徒ひとり一人に渡され、それぞれ先祖様への謝恩と家内の安全を祈念し、香を焚いた。そして彼岸会法要は終了した。
 
 ふと窓から外を眺めると花屋さんの前は人だかり、真徳橋を渡る墓参の人が列をなしている。
一方、境内の木々たちは花のつぼみも固く「いま、しばらく…」と、どこかで聞きなれた「お待ち」を乞うているようだった。

   *引磐(いんきん)…動作を指示する携帯用の鏧子(けいす)(かね)