令和4年2月11日(金)
初午法要
 大雪の予報が出て日本国中は緊張に包まれた。温暖の地、静岡県も対象という。幸いにも当日の遠州地方は晴天に恵まれたが、県東部や伊豆では降雪が見られたという。一方、相変わらずコロナ禍の情報は油断がならず、まん延防止中の県下も延長の是非についてかまびすしい。
 前日までの予報・予想に反し天候はいたって穏やか、風もなく体感では「春の兆し…?」を彷彿とさせる温かな朝を迎えた。車を降り、境内の桜の古木に「春」を探したが、どの枝も固く身を閉じた蕾ばかりであった。
 まさしく自然は確かであり、我が身の体感を恥じた。

 予定の十五時、送迎の僧を先頭に方丈が稲荷堂に向かう。いつもなら稲荷楽市を楽しむ人々をかき分けての行列であるが、コロナ禍の治まらぬ本年も楽市は中止ゆえ、境内には墓参の檀信徒しか見当たらない。
 読経は新年拝賀式(一月十一日)での大般若転読と同様に陀羅尼で始まった。太鼓で調子を刻み早い調子に乗って詠みあげる般若心経は、人気(ひとけ)の少ない境内を
響き渡り、本堂の中まで届く勢いだ。例年なら初午恒例の投げ餅を待つ多くの人を「待たせるお経」の一面もあるが、今日は萱垣稲荷荼枳(かやがきいなりだき)尼(に)真天(しんてん)さまご一人に奉じる「素…ありのまま…のお経」であり、鳥居の赤に劣らぬ赤心=まごころの表れである。
 ご案内のように、寒巖派につながる法系の当山は、寒巖禅師(一二一七〜一三〇〇)が宋からの帰途、海上に現れた荼枳(だき)尼(に)真天(しんてん)のお姿を感得され、自らそのお姿を彫って祀られたことに因(ちな)み、勧請しお守りさせてもらっている。世上では豊川市の妙厳寺様が有名であるが、お祀りするのは同じ荼枳尼真天さまである。