令和4年4月11日(月)
浜松市寺脇町の法壽院・伊藤晃裕さまがご導師
ご開山530回忌法要
汗ばむ陽気の中で…

 第七波の発生を危ぶみながらコロナ対策を怠りなくお願いし、会食など人の密なる集まりを避け、コロナ以前に準じての開山忌法要となった。  
 桜も終わりいよいよ春の深まりが山内を覆うが、ここ一両日の急激な暖気が人や木々をも驚かせているようだ。
 ご開山・傑堂義俊禅師さまの530回目の遠忌が営まれるこの日、ご導師を勤められるのは寺脇山法寿院の伊藤晃裕ご住職。併せて当山30世中興壽仙泰延大和尚さまの65回忌法要も導かれる。
 
古(いにしえ)をしのび、感謝・報恩・精進を心する
 例年には珍しい暖気が本堂に漂い、昨日迄の暖房機を追いやった。開式を待つ天林寺総代鈴木さま、法寿院総代の4名さま方が椅子に座られる。詰めておられた関係寺院の和尚さま方が、静粛のうちに入堂。ご本尊様の前に並列され、対面し威儀を正される。時をおかず、殿鐘が鳴らされる。定刻11時である。
 鐘と遠くの鉦が呼応し、繰り返され、やがて送迎の僧の引(いん)磐(きん)の音が近づき送迎、天林寺方丈、導師の法寿院晃裕老師、侍者らの順で入堂される。 
 天林寺方丈は須弥壇の手前を右に折れ、東室中(須弥壇向かって右手)に端座される。西室中(同左手)には福厳寺東堂、仙林寺様のお二方。導師は直進し焼香される。

 導師の晃裕老師は須弥壇のご開山像を仰ぎ、線香を手に一礼、香を焼き一礼。代々ご住職さまにもご挨拶をされた後、献湯菓茶から参同契・宝鏡三昧の読経,総代さま焼香までを粛々と進められた。
   

  開山忌とは、ご開山様…当寺を開き興された、傑堂義俊大和尚さま…のご功績をたたえ、ご恩に報いることを誓うと共に、代々のご住職さまへの謝恩の法要でもある。
 
 当山では傑堂禅師さまが入寂されたと伝わる4月11日に営まれ、今回で530回目を迎える。従前は代々の天林寺住職が導師を勤めていたが、10年前より当寺につながる寺院さまに順次導師をお勤めいただき、総代さま方、寺族の皆さまにもご臨席をお勧めしている。ご開山から今日に引き継がれている法縁への感謝と自覚の下で、更なる精進を誓う法要として大切に継続している。
 それは、取りも直さずご開山、歴代住職を敬い偲びつつ当山の護持・発展を誓い合い、遠く宗祖・道元禅師さま、更にはお釈迦さまへとつながる「仏縁」の証を知覚する機会と思うからでもある。

ご開山さま あっての天林寺、そして あなた
 仏教の教えのつながりは「法統」と呼ばれるが、ご開祖道元禅師さまからの教えは、寒巖義尹→鉄山士安→東洲至遼→梅巌義東→華蔵義曇→傑堂義俊=ご開山さま、と続く。そして当山二世から先代・三十一世大園禅覚大和尚さま、を経て文元方丈さまを通じ、私どもにも伝わる。
 伝承の基本は経本、法話などによることが多いが、法要など儀式を営み先人を敬慕することも、大切な伝承方法である。
 五百余年を経て今日に続く所作には、託される意義があり、時を越えても真が伝わっていく。継承されていく行持=行事は、勤める僧も会する人もご開山につながる者であり、共に感謝と精進を誓う心が繋がり、双方「自分」の存在が確認できる機会でありましょう。
 今年もコロナ禍ゆえにご陪席をご案内しないが、来年以降、機会があれば是非ご参拝をお勧めしたい。毎年決っている日時(4月11日11時開始)であり、約1時間の法要である。

紀州のお生まれで、田原市にて示寂された
 ご開山さまは、応永31年(1424年)紀州の熊野で誕生され、後に普済寺を開かれた華蔵義曇大和尚(1375~1455年)に師事され、ご縁が生まれた。
 文安2年(1445年)当山の基となる亀鶴山万蔵院を、現在地より少し南方に開創された。応仁・文明の乱の直前である。その後、普済寺に3度も住持されたり、当山の寺域が整うを見て、請われて渥美半島にも布教の足を延ばされた。田原市の霊松山常光寺(1468年開山)など数か寺を開かれ、同地方の曹洞宗発展の礎となられた。
 隠遁した後、法尺寺のご開山となり1489年同市和地の麓で、穴にこもり鉦を打ちつつ示寂(逝去)された、と伝わっている。