令和5年4月11日(火)
浜松市中区幸の大聖寺・伊藤智裕さまがご導師
ご開山531回忌法要
葉桜もちらほら、春の陽気の中で…

 コロナ対策のマスク着用が減るかと思いきや交通機関、店舗など人の集まりの場は相変わらずのほぼ100%の着用。屋外では随意のはずだが、昨今は黄砂の飛来対策と併せて自発的?に着用する人がほとんどで、マスクとの縁はなかなか切れそうもない。一方、気温は日ごとに高まり、本堂前の桜もあわてて新芽を吹きつつあり、春の深まりが山内でも見てとれる。
 ご開山・傑堂義俊禅師さまの531回目の遠忌が営まれるこの日、ご導師を勤められるのは眞道山大聖寺14世・伊藤智裕ご住職。併せて当山31世大圓禅覚大和尚さまの27回忌法要も導かれる。
 
古をしのび、感謝・報恩・精進を誓う
 朝夕との寒暖差はあるものの上着ナシや半そで姿も珍しくない陽気の中、本堂の空気も穏やか。
 天林寺総代鈴木さま、お世話人4名さま方が須弥壇に向かって右の間、大聖寺の総代さま方4名が左の間に座られている。やがて関係寺院の和尚さま方が粛々と入堂、席を定め対面し威儀を正される。時をおかず、殿鐘が鳴らされる。定刻11時である。
 鐘と遠くの鉦(かね)が呼応し、やがて引磐(いんきん)の音が近づき送迎、天林寺方丈、導師の大聖寺智裕老師、侍者らの順で入堂される。

 天林寺方丈は須弥壇の手前を右に折れ、東室中(須弥壇向かって右手)に端座される。西室中(同左手)には仙林寺ご住職さま。導師は直進し焼香される。
 導師の智裕老師は須弥壇のご開山像を仰ぎ、線香を手に一礼、香を焼き一礼。代々ご住職さまにもご挨拶をされた後、献湯菓茶を終えられる。続く焼香、大衆九拝から参同契・宝鏡三昧の読経、総代さま焼香までを粛々と進められ退堂された。

 開山忌とは、ご開山さま…当寺を開き興された傑堂義俊大和尚さま…のご功績をたたえ、ご恩に報いることを誓うと同時に、代々のご住職さまへの謝恩の法要である。
 当山では傑堂禅師さまが入寂されたと伝わる4月11日に営まれ、今回で531回目を迎える。      
 従前は代々の天林寺住職が導師を勤めていたが、平成22年(2010年)より当寺につながる寺院さまに導師をお勤めいただき、総代さま方、寺族の皆さまにもご臨席をお勧めしている。ご開山から今日に引き継がれている法縁への感謝と自覚の下で、更なる精進を誓う法要として大切に継続している。
 それは、取りも直さずご開山、歴代住職を敬い偲びつつ当山の護持・発展を誓い合い、遠く宗祖・道元禅師さま、更にはお釈迦さまへとつながる「仏縁」の証を知覚する機会と思うからでもある。

ご開山さま、天林寺あってのあなた…
 仏教の教えのつながりは「法統」と呼ばれるが、ご開祖道元禅師さまからの教えは、寒巖義尹→鉄山士安→東洲至遼→梅巌義東→華蔵義曇→傑堂義俊=ご開山さま、と続く。そして、現在の32世文元方丈さまを通じ、私どもにも伝わる。
 伝承の基本は経本、法話などによることが多いが、法要など儀式を営み先人を敬慕することも、大切な伝承方法とも考えられる。
 五百余年を経て今日に続く所作ひとつを見ても、託される意義があり、時を越えても真(まこと)が伝わっていく。継承されていく行持=行事は、勤める僧も会する人もご開山につながる者であり、共に感謝と精進を誓う心が繋がり、双方「自分」の存在が確認できる機会でありましょう。
 開山忌は毎年決っている日時(4月11日11時開始)、約1時間弱の法要で、未来永劫に続く当山の大切な法要である。

ご開山さまは、紀州・和歌山のお生まれ…
 ご開山さまは、応永31年(1424年)紀州の熊野で誕生され、後に普済寺を開かれた華蔵義曇大和尚(1375~1455年)に師事されました。
 応仁の乱の40年前である文安2年(1445年)天林寺の基となる亀鶴山万蔵院を、現在地より少し南方に開創された。その後、普済寺に3度も住持、請われて渥美半島にも布教の足を延ばされ、愛知県田原市の霊松山常光寺(1468年開山)をはじめ数か寺を開かれ、同地方の曹洞宗発展の礎となられた。
 常光寺を退いた後は、法尺寺のご開山となり1492年同市和地の麓で、穴にこもり鉦を打ちつつ示寂(逝去)された、と伝わっている。