令和5年6月11日(日)
妙厳寺住職 福山憲隆老師を拝請し
禅覚大和尚27回忌法要
 大本山永平寺顧問を委嘱され、西堂位を贈られた大安寺7世中興、
当山31世重興大圓禅覚大和尚の27回忌法要が挙行された。

 
 長駆豊川市(豊川稲荷)からお出かけいただいた福山老師は、予告通りの14時15分前、天林寺にお着きになった。親しく迎えられた文元方丈の目礼に応え、玄関を入られ簡単なご挨拶をなされた後、方丈自らの案内にて控えの不老閣に移られた。

 定刻の15時、打ち出された鐘を機にご参列の和尚様方はそれぞれの座につき、導師のご出座を待つ。やがて、鐘の音の合図に続き送迎を先に侍者、侍香、を従え本日の導師、福山老師が入堂される。
 太鼓一声に続き、上香、献茶湯…と進む。再び太鼓三声、香をたかれた導師から31世禅覚大和尚への法語が述べられ、参同契、宝鏡三昧と読経が続き参会者が焼香。回向が述べられた後、導師以下各僧侶は五体投地の三拝をし、勤め終えた。 
 一同、衣を整え直立。南面を向き曲録に着かれた導師のご垂示をいただく。

 若々しくよく通る音声にて、法要参席のねぎらいに続き、全国に数少ない寒巖派に触れ、大慈寺から普済寺への布教、そして十三派寺院のことを話された。  
 また、天林寺、妙厳寺は兄弟寺であり、自らも先の永平寺貫首福山諦のお供で禅覚大和尚との縁(13,17回忌法要随従)を頂いた、と述べられた。さらに、脈々と続く法縁に佛の道の真実を確認するとともに、寺門の繁栄を願われて、挨拶の言葉とされた。

 いま、思い起こせば17回忌法要の席上、往時の導師の永平寺福山猊下から当山現住職に、「大本山永平寺顧問」の重責を委嘱された。手ずから渡された委嘱状は7月1日付であり、時の流れは早いもので、もう10年の歳月を数えることになる。

 導師の退堂を待って墓参の案内が予定され、檀家総代、門弟、寺族、親類縁者、が心準備をしていたが、降雨のため足元が悪く、急遽取りやめ中止となった。