令和6年3月17日(日)
曇天ながら、暖かな彼岸の入り
春の彼岸法要
 「マスクは各人の判断に…」との案内はお寺の指針?であるが、医者をはじめ医療関係者の進言で、人が集散する市内各所では相変わらずマスク着用が通例となっている。コロナの5類化以降一時下火になったが、インフルエンザ感染への防備が主であろうが、中には寒いから、お化粧がラクだから…と他の理由もあるらしい。ここに来て花粉症対策にも重責を担っているらしく、再びマスク着用が目立ってきた。
 暖冬と言われた年明けから気候変動は活発?で、予報をくつがえす「急変」もあり、若い世代に限らず老若男女、日々の着衣の選択に悩み、気を病むありさま。常套句の「暑さ寒さも…」が実感のない彼岸の入りである。それでも、と17日の天林寺、境内の木々に春の兆しを見つけようと覗き込むが、つぼみは硬いまま。じっとこらえる頑(かたく)なな態度にがっかりし、唯ひたすらに降雨に期待する。ひな祭りや啓蟄も過ぎて、お水取りも終え、彼岸を迎えた今、春の到来はいつ?の答えは、一雨ごとに大地を潤し花木に栄養を運び、新しい芽吹きの準備を…と希望するしかない。

 西の間をほぼ埋める檀信徒さんを迎え、彼岸法要は例年のごとく厳かに進んでいく。読経が続く中、和尚様の手によって回し香炉が檀信徒一人ひとりに廻され、本堂を一巡りする。個々にご先祖様をしのび、感謝と家内の安全を祈念し、今後の精進を誓って香を焚かれた、と思われる。香煙を浴びながらご先祖様との会話はなされたであろうか…?
 導師が退堂した法要後は皆さん満足気に立ち上がり、ある方はそのまま位牌堂へ、ある方は墓地、自宅にと各自自由な解散となる。

お彼岸、とは?
 「彼岸」とは古いインドの言葉で修行の完成を表す「パーラミター(波羅蜜)」に由来します。仏教では、私たちが生きている迷いの世界を「此岸(川のこちら側の岸)と呼び、むさぼりとらわれない悟りの世界を「彼岸(川の向こうの岸)」と呼んで、安らぎの彼岸へ度(わた)ることを願い、仏道修行が行われてきました。そしてこの時期には特に、在家信者も戒律を守り、仏法を聞き、生活を正すという習慣がありました(禅の友’23.5月号より)。
 引用したように、彼岸会とは、インド・中国には見られない日本独自の行事である。
@農耕民族ゆえに自然の恵み、特に太陽の恵みに感謝する思い、とA春分・秋分の2回真東から真西に沈む太陽の動きに対する畏敬(いけい)(恐れ敬うこと)の念、さらにはB「太陽の沈む真西は彼岸である」との教えが合致して独自の仏教行事になったと伝わっている。
 いつごろから?と疑問は続きますが、残念ながら10世紀(平安中期)ごろとは言われますが、確証はありません。

 外に出ると、時折冷たい西風にあおられた。まさに、聞き覚えた彼岸西風(ひがんにし)(涅槃西風ともいう…春の季語)だ、と嬉しくなった。目には見えないが、春は確実に近づいているな、と得心できたから…。