平成21年7月15日(水)
山門施食会
 7月に入ってからの天候の不安定さは尋常ではない。前半は比較的気温の低い日が多くあったが、10日過ぎからの蒸し暑さには閉口する。本日とて同様、外は時折の風があり物陰は涼しいが、室内は蒸しかえる。うなる扇風機も温風を運ぶのみである。
 例年通り、玄関先の部屋では総代さまによる新亡家の受付が忙しい。汗をぬぐう暇もない応対が続く。やがて、喪主をはじめご親族も三々五々本堂に座を占められる。ご詠歌が流れている。扇風機の回転がもどかしく、風の道を求めて窓際に集まる人々。あいにく今日は南北に吹き抜ける風がない。

ありのままを見つめよう
 法要に先立ち井上貫道老師(掛川市少林寺住職)の法話をいただく。
 はじめに結論を申し上げる、と言われ、「耳は前の音を残さない。前に聞いた嫌なことを残さないのは救いでもある」また、「瞳も自らが見たものしか見えない。それを事実という。アアなりたい、コウありたい、は思いの世界であり考えている世界である」と、お釈迦さまの本来の教えが自分の中にあることを説かれる。生きている上での「事実」と「人の考え」の違いを諭され、悩みや迷いは人の考え(欲や思い)方から生じ、この世の中、事実で悩む人はいないと断言された。さらに、今日の、今の事実に目をむけよ。自分の中にすべてがあり、自分の問題として自らが感じること、思うことに直面せよ、と諭される。静寂の本堂での動きは扇風機の旋回と、話にうなずく頭の上下だけであった。
 法話が済んで、再びご詠歌が流れる。鐘が打ち出され和尚さま方が須弥壇の左右向かい合わせに立ち、導師の入堂を待つ。いよいよ堂内は法要の予感が走り緊張感が漂う。
それぞれに、ご先祖を想う
 眼にも鮮やかな黄色の衣に身を包み、香を焚き、五体投地の礼拝を繰り返す導師さま。和尚さま方に倣い檀信徒も三拝する。導師を勤める方丈さまがご本尊さまにお密湯、お菓子、お茶をささげる「献湯菓茶」。
 静かな中でひとつひとつが僧侶の無駄のない動きの中で、粛々と進められていく。満堂の視線は釘づけとなり、何百年と続いてきた法要を初めて目の当たりにされたのか、身を乗り出し動きを追っていく人もいる。
 お経が誦えられ、♪寝ても覚めても…とご詠歌がしめやかに堂内に響く。
 続いて寺施餓鬼に移り、新亡家をはじめ檀信徒さま、三世十方法界の万霊を供養、新盆のご家族から順に精霊棚に水を手向け、法要は終了した。
 薄暮の17時、山門前では精霊送りの読経が行われ、檀信徒をはじめ多くの市民が参拝された。それぞれご先祖様に語り合った、お盆の暑い暑い一日であった。