平成23年7月15日(金)
山門施食会
 空梅雨が明け、晴天続きではあるが、連日30度を越す暑さが身に応える。体がなれていないせいだろうか、何となく人の動きが鈍い。東日本大震災による原発事故から電力不足を補う省エネが叫ばれているが、参列者の服装にもその影響がみられる。男性の略礼服姿やネクタイ着用が減り「白い色」が圧倒的に増えた。
 
 新亡家は玄関先の部屋で総代さま方に受付してもらい本堂に上がっていく。ご詠歌の流れる中、親族同士並んで席を占め法要の始まりを待つ。入口に佇むご婦人に「奥にまだ席はありますよ」と声をかけると「足が悪いから立っている方がラクなんです…」とのこと。時代の流れか、近年めっきり膝を痛める人が多く、正座の苦手がふえた。
 鐘の音を合図に法話の開始が告げられる。例年のように井上貫道老師(掛川市少林寺住職)が五体投地の礼拝を3度繰り返し、高座に上られる。

修行とさとりが別々にあるのではない
 皆さま忙しさのあまり、誤解をしているのではないでしょうか?と問いかけながら貫道老師の法話が始まる。高座の背に張られた『修行とさとりは別々のものではない』をテーマに順々と諭される。
 世間では先のことに思いを馳せて心を動かす人がいるが、仏教の教えは違います。今いること、今していることに心をこめることが大切で、修行はこうやり、さとりはこう考える、では無い。行動と心はひとつにしよう。立っていながら座っている考えにはなりません。一日の暮らしの中でも、自らのひとつひとつの動きの中に心を込め、チグハグのなきようにしましょう、と提言された。
 
 法話が済んで全員で合掌、再びご詠歌が流れる。
 しばらくして本堂の鐘と遠くの鉦が呼応して打ち出され和尚さま方が入堂、左右向かい合わせに立ち、導師の入堂を待つ。いよいよ堂内は緊張感が漂う。
 
ご先祖をお迎えし、掌をあわす
 淡黄色の衣に身を包んだ導師・文元方丈が入堂、五体投地の礼拝を繰り返す。案内があり、和尚さま方に倣い檀信徒も三拝する。
 衣のきぬ擦れと扇風機の気ぜわしい回転音が堂内を走る。僧侶たちのひとつひとつの無駄のない動きが粛々と進められていく。参列の人々の視線は静かで厳かな作法に釘づけとなり、手を合わせたまま目が「流れ」を追っていく。
 お経が読まれ、続いて♪寝ても覚めても…とご詠歌がしめやかに堂内に響く。
 いったん三拝をし、続いて山門施食会に移り、導師が朗々と読み上げた新仏をはじめ檀信徒さま、三世十方法界の万霊を供養。檀家総代に続き新亡家のご家族から順に精霊棚に水を手向け、法要は終了した。
 暑い一日の暮色がかかる頃、19時きっかり鉦が鳴らされ、方丈さまはじめ僧侶が山門前に出座された。精霊送りの法要を営むためである。檀信徒をはじめ多くの近在の市民が参拝され、お盆のお飾りが納められる。宗派を超えた法要と言える。
 広い駐車場に夜店が数軒並び、子供にせがまれ手を引かれた父母や祖父母…。燃え盛る炎に照らされ、笑顔や苦り顔が心なしか赤い。もう夕闇が降り、炎が鮮やかに立ち山門を照らしている。
街中にありながら炎立つ、知る人ぞ知る夏の風物詩でもある。