平成24年7月15日(日)
山門施食会
 遠く九州の地での大雨災害はこころ痛む思いだが、ここ数日の不順な天候も身に応える。湿度が高く、晴れ間が見えたかと思う間にもにわかに雨が降り出すからである。
 15日、蒸し暑さは相変わらずであるが、時折晴れ間を見せる空模様で、「雨さえ降らねば暑さぐらいは我慢しよう!」と半ばあきらめ調子である。今年も駐車場には朝から準備された露店が3店軒を並べ、夕方の開店を待っている。
 
 新亡家は、玄関先の部屋で総代さま方に受付をしてもらい、本堂に上がっていく。ひとしきり立て込む時間があり、受付担当は大忙し、汗をぬぐう暇も無い。一方、本堂ではご詠歌の流れる中、家族同士三々五々並んで席を占め法要の始まりを待つ。日曜日とあって子供や若い人の姿も多い。
 鐘の音を合図に法話の開始が告げられる。侍者らを従え井上貫道老師(掛川市少林寺住職)が入堂、五体投地の礼拝を3度繰り返し、高座に上られる。

仏道を習うというは…
 「皆さま!仏教を学ぶと言うとずいぶんと難しいことのように思われるでしょうが、道元様は仏道を習うというは、自己を習うなり、と言われています」。やさしく問いかけるように、貫道老師の法話が始まる。
 
 生きると言うのは、皆様のその体の中で見て、感じて、考えているのである。例えば、腹を立てる行為もすべての人が同じ反応をするのではなく、個々の人…受け入れる人が腹を立てているのです。他人が腹を立てるのではなく、自分が腹を立てているのです。すべて自らの体から出ていることであり、自らの素晴らしさや至らなさを学ぶべきである。皆さんはもっと自らを大事にされたい、と提言された。
 
 法話が済んで全員で合掌、再びご詠歌が流れる。
 しばらくすると、本堂の鐘と遠くの鉦が呼応して打ち出され和尚さま方が入堂、須弥壇を挟んで向かい合わせに立ち、導師の入堂を待つ。堂内は静まり、緊張感が漂い始める。

ご先祖をお迎えし、掌をあわす

 導師を勤める文元方丈が入堂、淡黄色の衣が目に鮮やかに写る。五体投地の礼拝に移る。案内があり、和尚さま方にならい堂内の檀信徒も掌を合わせ、三拝する。
 足袋が畳をする音、衣のきぬ擦れ、そして扇風機の回転音のみが聞こえる。献湯菓茶(ご本尊様に蜜湯、菓子、茶をささげる)を終え、経題に従って読経、とひとつひとつ無駄のない動きで粛々と進められていく。人々の視線は静かで厳かな動作を追い、掌は合わせたまま頭が動き目が「流れ」を捉える。
 お経が読まれ、続いてご詠歌の♪寝ても覚めても…がしめやかに堂内に響く。
 本尊様へいったん三拝をし精霊棚を向いて、「山門施食会に移ります」の案内があり読経。読み終え、導師が朗々と読み上げた新仏をはじめ檀信徒さま、三世十方法界の万霊を供養した。その後、導師、僧侶、檀家総代に続き、新亡家のご家族から順に精霊棚に水を手向け、法要は無事終了した。
 まだ明るさが残った19時ころ、鉦が鳴らされ方丈さまはじめ僧侶が山門前に出座された。精霊送りの法要が営まれる。檀信徒をはじめ多くの市民が参拝され、お盆のお飾りが納められる。近くの市民にとっては夏の風物詩であり、いよいよ暑い夏の到来、の思いに浸る行事でもある。
 
 お経が終わる頃、夕闇が迫り来て露店の灯りが映えてくる。燃え盛る炎に照らされ、周囲は明るく人の顔も赤い。納められた盆飾りの短冊が風に揺れ、季節の一区切りを示しているようでもあった。