平成25年3月17日(日)
春の彼岸法要
早い「春」がすぐそこに…
 にぎやかな会話の中に時折、甲高く叱る言葉も飛び交う…子連れのご家族が多い。今年は日曜日になった彼岸の入り。
桜の開花が早いとの噂さを耳にしつつ、もくれんの開花を横目に「暑さ、寒さも…」を口に三々五々、お寺参りをする。

ストーブは置かれたまま…
 この時期特有の薄雲りながら温かい朝を迎え、一枚少なめ…の着衣が目立ち、心なしか人の動きも軽やかに見える。本堂では優しく準備されたストーブは点火せず置かれたまま。そこだけ見ても「季節」の変わり目が感じ取れる。もう春なのだ。
相変わらず椅子席に人気が集まるが、親しい仲なのか手招きされ「座」を移して話に加わる人もいる。位牌堂の焼香を終えた人お墓へのお参りを終え本堂に上がる人、それぞれが会釈を交わしながら、緋毛せんに座り込む。久し振りなのか丁寧に無沙汰のわびを言い交わしている。どこも和やかに話の輪が広がっていく。
 やがて、大きく鐘が鳴り響く、会話がいったん途切れる。呼応するように遠くで鉦が鳴らされた。居住まいを正し座りなおす人、はしゃぐ子供をたしなめ隣に座らせる大人。きょとんとしている子供。
 徐々に近づく鉦の音と共に方丈が入堂される。鮮やかな緋の衣が目にまぶしく、手にされた払子(ほっす)の白がひときわ目立つ。
「献湯菓茶」を終え、読み上げられた経題に従い般若心経を唱え、回向文を読誦、一同三拝にておつとめが終わる。初めて見る法要のきびきびとした動きに子供は目を見張る。目は僧侶に釘付けだが、鏧子(けいす)(大鏧)の大きな音にすばやく反応、チラッと見てなにやら隣に問いかける。身内であろう隣人は周囲をはばかり「あとで…」なんて、手と同時に応じている。当り前のように営まれる法事であるが、数世紀にわたる古い儀式に初めて見る人は驚きと不思議さを感じるであろう。出来るならば感受性の鋭いうちに出遭うとよろしいと思う。なぜなら、そこには悠久の文化・伝統が秘められた、無駄のない動きの中にも、生きた歴史の勉強が出来るから…。そして、ご先祖を想像しつつ自らのルーツを考え、探る糸口になるであろう、から。
 
「彼岸法要に移ります」の案内に再び一同三拝。修証義を唱え、ご先祖の安らかならんこと、加えて大震災での犠牲者への鎮魂を心より念じた。広い本堂に読経が響き渡る中、回し香炉が廻され参会者それぞれがご先祖様への感謝、家内の無事を祈念された。
偶然の出会いから、の「人生の師」
 里みちこさんの「詩語り」が開催された。7回目を迎えた今回は、人生の師と仰ぐ亡き伊藤千代さんとの出会い、教え、敬愛の情などが語られた。
 過去に里さんの話を聞いた人は「言葉の魔術師」「ことばの創造者」とも称されるが、その言葉の意味深さ、大切さを里さんに教えた人が伊藤さんであった。奇縁というべき英国の田舎での出会い、強い影響を受けたその深い教養と高潔な人間性…等々。一つ一つの話が興味を引き聴く人の心を打つ。つい先日も…、と北海道大学での1週間にわたる「詩語り」を口にされたが、訊けば伊藤さんご夫妻も札幌に縁が有り、その供養の為ともおっしゃる。人との出会いを大切に思い、自らの気持ちに素直に従い行動する人…里さん。
5メートル余の和紙に綴られた「詩」の奥に潜んだ物語に多くの感動があり、聴く人の心にも重く響き伝わったようであった。
 
 また、盲ろうの東大教授に取材した感動の本、『ゆびさきの宇宙 福井 智・盲ろうを生きて』(生井久美子著・岩波書店刊)が聴講者にプレゼントされた。里さんの詩が紹介されかつ、書評を記された本であり重厚な佳作であった。