平成25年7月15日(月)
山門施食会(盂蘭盆会
  梅雨明けの真夏日にすっかり「暑さ負け」してしまった身には、週が替わり例年並みの暑さには「過ごしやすい」と思える。げに、人は目先の環境に斯くも簡単に左右されやすいものか…。
 
 例年のごとく山門前には数軒の露店が位置を決め、準備に忙しい。まだ陽が高いと言うのに匂いにつられ店の前を動かぬ童もいる。説得にてこずる母親、・・・(・・・ら)・・・(・・・ら)・・(・・・)ねじり鉢巻の店主。日陰を選んで天真閣の前を行く。本堂より流れ聞こえる鉦の音、時々ずれて届く。
 玄関先の部屋で総代さま方は「受付」業務に忙しい。受付を済ませた新亡家は供物を手に本堂に上がっていく。ご詠歌が扇風機の首振りに強弱をつけられ堂内を流れる。いつものセミの声は気にならぬ…今年は遅出、であろうか?それよりも白黒モノトーンの中で原色の衣装が目立つ。やはり、日曜日とあって幼い子供や若い人の姿も多い。
 鐘の音を合図に法話の開始が告げられ本堂内の会話も途切れる。侍者らを従え井上貫道老師(掛川市少林寺ご住職)が入堂、五体投地の礼拝を3度繰り返し、高座に上られる。
ポットの故障に学ぶ…
 湯沸かし器=ポットが故障したら他のポットを持ってきて原因を追究するのでなく、そのポット自体を見て理由を求めていきます。
しかし、人間は同意できなかったり、争いが生じると人のせいにする事がよくあり、結果自分自身も悩んだりします…と前置かれ、諸事問題が生じると、自分の問題であっても人のせいにして悩んでいる人がほとんどである…と説かれた。
つまり、自らの好みや勝手で判断していて素直に「モノ」を見、判断していない。そこから人は悩みを背負って生きている、と言われる。
さらに、2500年前にお釈迦さまはそのことを説かれた、とも付言され盂蘭盆会の意味合いにも触れられた。
 
 法話が済んで全員で合掌、再びご詠歌が流れる。いつもより人数が多く、鈴や鉦が光り衣装もまばゆい方が混じる。聞けば、新人3人が加わっているそうで、時にばらつく音もうなづける。しかし、先のことを思えば大いに心強い。
 まもなく、本堂の鐘と遠くの鉦が呼応して打ち出され和尚さま方が入堂、須弥壇を挟んで向かい合わせに立ち、導師の入堂を待つ。堂内は再び静まり、緊張感が漂い始める。
ご先祖をお迎えする…
 鮮やかな淡黄色の衣に身を包まれた導師の文元方丈が入堂、焼香、五体投地の礼拝に移る。案内により、和尚さま方にならい新亡家を始め堂内の檀信徒も掌を合わせ、三拝する。
 献湯菓茶(ご本尊様に蜜湯、菓子、茶をささげる)を終え、経題に従って読経、と無駄のない動きで粛々と進められていく。参会者は僧侶ひとり一人の静寂で厳かな動作を追い、頭を右へ左へと曲げるが掌は合わせたまま、である。
 次のお経が読まれ、続いてご詠歌の♪寝ても覚めても…が堂内に響く。いつもより声が大きい。
 本尊様へ三拝をし反転、和尚さま一同は精霊棚を向いて、「山門施食会に移ります」の案内に従い、読経をかさねる。
導師が朗々と読み上げる新仏をはじめ檀信徒さま、三世十方法界の万霊を供養申し上げる。
やがて、導師、僧侶、檀家総代に続き、新亡家のご家族から順に精霊棚に水を手向け、法要は無事終了した。
 まだ明るさが残った19時、方丈さまはじめ僧侶が山門前に出座され、精霊送りの法要が営まれた。
 例年のように、檀信徒をはじめ多くの市民が参拝され、お飾りが納められる。市民にとっては夏の風物詩、いよいよ暑い夏の到来、の思いに浸る行事でもある。
夕闇が迫り来るころ法要が終わる。ちょうど露店の灯りが映え、子供の目が虜になるころ、と重なる。