平成25年11月17日(日)
第27回 仏教に親しむ会
『生きるとは、人と繋がること』
講師 福島 智 氏
 9歳で左目を失明、18歳で失聴し全もうろう(もうろう全)となったが、母の考案した指点字を使い、人とのコミュニケーションをとる。克己奮励、現在東京大学教授として活躍する講師は、明るく気さくであった。話しやすく、ハキハキと発言されるゆえ当初抱いていた気配りは雲散霧消、周囲をも明るく包むご自身のもつ気高さに打たれた。  

レジュメを用意される気働き
 新聞紙上にて紹介されたこともあり、聴講希望者は230名を越え、会場もいつもの天真閣から本堂に変更して開催された。熱心な方々は1時間も前から受付に並ばれた。
 海外出張からお帰りになったばかり、ご多忙の身であるが今日の講演のためにB4−2ページのレジュメを作成された。分かりやすく、開演の前に目を通す人が多い。一方、急な会場移転による拡声装置など、新たに設備換えしての対応であるゆえ、音声テストなども直前まで繰り返される。

 時間となり、二人の通訳を従え講師登場。厳粛な雰囲気に包まれた。しかし、講師のよく通る明るい第一声、歯切れのよい口調に「ご本人が話される…」ことへの驚きに加え軽妙な語り口に会場のあちこちから安堵?のざわめきが生れていった。
常に前向きに、人と関わる…
 伝記には「9歳で闇の世界へ、18歳で音のない世界へ導かれたが生来明るく前向きの性格は変わらず、とかく暗くなりがちな母をリードする一面もあった。一方母はリハビリの中でも息子の自主性を尊重し、出来る限り伸び伸びと育てた」とあるが、講演でも臆することなく闇の世界の不安とそこから脱出した喜びを素直な表現で説明された。
 「そんなある日、偶然母が指に打った点字…指点字を勘のよい息子が理解、以後母以外の人ともコミュニケーションが図れるようになった」とあるが、固唾を呑んで聴き入る聴講者には自己にとって最も大切な「コミュニケーション」の意味合いを説き、単なる情報の伝達、でなく、「共有する」
「理解し合う」「ともに何かを行う」の主意であり、共感力、想像力を伴うことを示唆された。
 
余韻冷めやらず…敬愛、憧憬、希望の輪が…
 質疑応答も活発になされ、予定の時間はオーバーした。終了後も講師により近く、と質問する人、握手を求める人、自己紹介する人等々が二重三重に取りかこみ、あこがれの「ふれあい」を求めた。さらに周辺の特別支援学校関係者の方も加わりその輪はいつ解けるかも知れず、帰京の予定時間を知るスタッフをいささか慌て出させる一幕もあった。