平成26年3月17日(月)
春の彼岸法要
小寒い雨に打たれて…
 少し寒さが和らいで「やはりお彼岸が来ると…」と期待したが、小雨にたたられて外出が鈍る彼岸の入りの日。やはり車でないと雨の坂はきついのか?例年のように坂を上る傘の泳ぎ…「春近し色とりどりの傘泳ぐ」の風情が感じられない。ただ、そっと覗き込むと桜のつぼみは少し膨らんできたようにも見える。その意味では恵みの雨かもしれないが、墓前で香や花を供え、手を合わせるには不都合かもしれない。

まだ欠かせないストーブのぬくもり…
「いつまでも寒いですなぁ」の挨拶が聞かれ近在の和尚様方も顔をそろえられた。予期しない寒暖の繰り返される昨今は体調管理が難しい。在家では重ね着を繰り返し、丸くなったり先取り薄着でくしゃみをしたりと右往左往しているが和尚様方はいかがであろうか?
風邪など召さないだろうかと思ったりする。それはともあれ、坂を上る人影もまばらであり、いつもは線香の煙が満つる位牌堂も心なしか見通し?が良い。
 
 殿鐘(でんしょう=本堂の釣鐘)が響きわたる。会話が止み丸を帯びた背筋もすっと伸びる。呼応して、遠くで鉦が鳴らされる。居住まいを正し座りなおす人、子供をたしなめ座らせる大人。鐘と鉦の音を耳で追い周囲を見回す児童…、何かが始まるぞ!の予感。
 遠くの鉦の音が近づくと方丈が入堂される。緋の衣が目にまぶしい。それ以上に目に焼きつくのは手にされた払子(ほっす)の白。赤に白のコントラストが印象深い。
静寂の中、丁重に「献湯菓茶」を終え、般若心経を唱える。回向文を読誦、一同三拝にておつとめが終わる。
「彼岸法要に移ります」の案内が発せられ再び一同三拝。修証義を唱える。ご開山さまを始め各家のご先祖の安らかならんこと、そして、大震災での犠牲者への鎮魂を心より念じる。広い本堂に読経が響き渡る中、回し香炉が一巡、参会者それぞれがご先祖様への感謝、家内の無事を祈念され、法要は終了した。
ゆびさきのコミュニケーション
 8回目となる里みちこさんの「詩語り」が開催された。『ゆびさき先生への手紙』と題してのお話である。ゆびさき先生とは昨年「仏教に親しむ会」でご講演いただいた、盲目ろうあ(お話は出来る)の不自由な身でありながら教鞭を取られる、福島 智東大教授のことである。
 9歳で失明18歳にて聴力を失い、指点字でコミュニケーションをとり、学位論文を書き上げ東大教授の職にある。かのヘレンケラーは生まれつきの盲ろう者であるが、福島さんはその逆で、失っていく現実を体験、その不安は如何であったかと、里さんは熱く語る。
『なみだ』という詩が二人の出会いだそうであるが5メートル余の和紙に綴られた「詩」の奥に潜んだお話は聴く人の心にも重く響き伝わったようであった。
 
 聴講者へのお土産として、朝日新聞の女性記者が取材した、『ゆびさきの宇宙 福井 智・盲ろうを生きて』(生井久美子著・岩波書店刊)がプレゼントされた。里さんの詩が紹介され、且つ書評も記された本であり重厚な佳作でもある。
 さらに付け加えるならば、「本日、生井さんがここに出席する予定であったが急病で欠席となった」と里さんは皆に伝え、残念がった、ことである。
 人を思いやる心の輪は幾重にも拡がっていくようだ。