平成29年7月14日(金)
山門施食会(盂蘭盆会)
 今年はカラ梅雨…と言われる当地であるが、九州をはじめ各地での水の被害が新聞をにぎわし心が痛む。一方、真夏日、熱帯夜、熱中症が日常用語?となり、気力も睡眠も不足気味か、人々の動きは鈍い。
 昨年辺りからの変化であるが、新盆家のお供えが造花に飾られた篭盛からコンパクトな詰め合わせに移ったように思われる。形の派手さより実を取るという、祀りごとにも現実社会の考え方が浸透してきている。勿論、時代の移り変わりによって所作も変わるのは世の常であるが、変わらぬはご先祖への崇敬の念。それゆえ、営む法要はゆるぎない。
 
 新亡家の受付は玄関先の部屋。総代さま方をはじめ近在の和尚さまの手を借りて「手続き」を進める。その証は本堂壁面に貼り出され、お供物は仏前へ飾られる。
 講中のご詠歌が続く中、新亡家席をはじめそれぞれが思い思いの姿勢で待つ。数台の扇風機がうなるも、通り過ぎる窓辺からの風にはかなわない。時折ではあるが、水を打つように冷気を運び入れてくれる。扇の手を一瞬止め、大きく息をつく人もいる。
 1時半、侍者らを従え井上貫道老師(掛川市少林寺ご住職)が入堂、礼拝をされ高座に上られる。

「苦はどこから来て何処に行くのか…」
 80歳を越えたお釈迦さまが体調を崩され苦しんだことの話から、人が「苦」と思うのはどうしてだろうか、どこから苦は来て、どこに行くのであろうか?と苦の観察を試みる話をされた。苦の源は自分自身、なのでは?とも堂内の人に問いかけられた。
 貫道老師のお話は身近なところに材を求め、分かりやすい。親しみ易い喩えを挙げて易しい言葉で表現される。今日も穏やかな言葉で話を結び、余韻を残して高座を降りられた。
 
 時をおかず殿鐘と遠くの鉦が呼応して鳴り和尚さま方が入堂、須弥壇を挟んで向かい合わせに立たれる。堂内は静まり、緊張がみなぎった。
 
ご先祖さまのご冥福を祈り掌を合わす…

 導師を勤める文元方丈が入堂。焼香、五体投地の礼拝に移る。案内の声に従い、新亡家をはじめ堂内の檀信徒も掌を合わせ、三拝。法要に入る。
 献湯菓茶(ご本尊様に蜜湯、菓子、茶をささげる)を終え、経題に従って読経。初めて盂蘭盆会に参列したのであろうか、掌は硬く合わせたまま首を伸ばし、身をよじって僧侶の動きを追い法要の進行を見守る人が目立つ。役僧をはじめ20数名の僧はそれぞれの持ち場で素早く、正確にことを進めていく。その面々と続く所作には無駄がなく、伝統が裏付けされて小気味よく、美しい。
 お経が読まれた後、ご詠歌の♪寝ても覚めても…が詠われる。詠唱中、精霊棚に対面する位置に導師が移る。他の一同もそれに従う。
「山門施食会に移ります」の案内があり、ふたたび経が読まれ堂内に響きみなぎる。
 やがて導師は、檀信徒さま、三世十方法界の万霊、そして東日本大震災の犠牲者の供養を読み上げる。経を挟み、次は満堂に響く声で新仏の戒名を奉読する。聴き入る新亡家の身内は今か今かと耳で新仏の名を探す。
 引き続いての読経の中、導師、僧侶、檀家総代に続き、新亡家のご家族から順に精霊棚に水を手向け、個々それぞれにご先祖を供養し法要は無事終了した。

精霊送りする
 19時、方丈さまはじめ僧侶が山門前に出座、精霊送りの法要が営まれた。近くの市民も参拝お飾りを納める精霊送りは、もはや夏の風物詩ともいえる大切な行事。人々に、いよいよ「夏本番」を告げているようだ。
 薄暮から始まったが終りは夜の帳がおり、ともる灯はひときわ鮮やかに目に映った。