平成31年3月18日(月)
待ちに待った春のお彼岸
 立春は言わずもがな、啓蟄を過ぎても春の息吹が伝わってこない。朝夕の冷え込みはともかく一日のうちでも前線の移動により、列島の東・西を問わず各地へ一時的に雨の洗礼を施してゆく。当地でも、車移動の人はよいがバス、電車を乗り継ぐ人には傘とコートは欠かせない。ましてファッションを気遣うご婦人方は厚着、薄着と日替わりの装いと天気予報を深読みしつつ、てんてこ舞い。ローテーションに困る人も居るらしい。
 年が明けてからしきりに「平成最後の…」と前置かれることが多いが、自然界はもう少し大きなサイクルで動く。平成の掉尾と言えども春先の乱れようは例年同様、人々は困惑の体…、そこで声を大にして、「暑さ寒さも彼岸まで…」と慰めたり、自ら納得したり。
 さて、待ちに待ったその日、寒い風もなく実に穏やかな日和の「好日」を迎えた。
 
ご詠歌が流れ、揺らぐ線香の香…
 ご詠歌はずっと続いている。本堂のストーブは燈っていない、人は背を伸ばし歩みもゆったりと、位牌に額ずく姿を線香の紫煙が包む…。本堂から位牌堂へ向かい、ご本尊様へご挨拶をすると、つくづく春が来たナァと感じる。途中、障子を開け木々の緑(・)度合(・・)を確かめたい気持ちすらする。やはり、昼と夜とがほぼ同じ…、暑さと寒さの分かれ目…春分とはよく言ったものだ。

香炉が回され、それぞれご先祖に感謝する
 1時過ぎ、墓地から位牌堂から本堂に集まる。ここ数年の変化として、まず椅子を手に座る位置を決める人が増えた。灯は入っていないが、なぜかストーブの周りに集まり易い。その点、県外から参じる人は前の位置に早くから座られている。顔なじみの方も居る。
 詠歌が続いている中、静かに和尚さま方が須弥壇前に並列される。
 定時、殿鐘(本堂西隅の鐘)が鳴らされ遠方で呼応する鉦が響き、導師が入堂される。
導師を勤める文元方丈は鮮やかな緋色…緋の衣をまとい、まずは焼香される。次に、方丈にならい、和尚さま方以下参会者も三拝する。
続いて釈迦牟尼仏、高祖、太祖、ご開山さま方に献湯菓茶を呈し、読経に移り、般若心経を唱和する。

「彼岸法要に移ります…」に一同三拝
 導師以下、ふたたび一同が参拝する。経題が告げられ修証義を唱える。ほとんどが瞑目、合掌する中で、唱和する人もいる。
 満堂に読経が響く中、回し香炉が参詣の檀信徒ひとり一人に渡る。居ずまいを正し、先祖様への謝恩や家内の安全、無事を願い、香を焚き念じる…。彼岸会法要は終了した。

時代を超え、伝統技術を伝承する
 春の彼岸恒例の「講話」が始まった。数年前より、お寺に関連することをテーマに専門家のお話を伺っている。
 今回は現代の名工と呼ばれ、寺社建築専門の鞄V峰建設を率いる澤本教哲社長である。スクリーンに、手掛けた建造物を映写しながら説明に入る。なじみの寺院も多々登場、県内屈指の専門家であることがよく分かる。  
 自ら求めて修行の道を歩み続け、40余名のスタッフを束ねる棟梁でもあるが、手がける現場は国宝、重要文化財の保全修理から一般寺院の新築にいたる。決して妥協を許さない仕事ぶりには定評がある、と聞く。それもそのはず、今も手掛けている静岡の浅間神社の完成予定は20年先とのこと。聞いた人は時間の掛かる仕事ぶりに皆、唖然とする。
 口伝による時代が長かった業界…と語られたが、飛鳥時代の柱はエンタシス…、平安期になると蛙股が目立ち、鎌倉に入ると彫刻に…と時代の特徴を明確に語られた。手掛けられた建造物の一つ一つから感じ、学んだ知識と技が身心にしみこんでいるようだ。歴史ある伝統技術ゆえに、伝承する責任を痛感する、と結ばれたが、文化や技術の伝承が難しい昨今、実に頼もしい言葉と心に響いた。